ゲーミフィケーション実施報告@精華学園高等学校 町田校
「ゲームのテクノロジーを学業やビジネスに生かそう!」というのがよくあるゲーミフィケーションのポジションだが、ゲーミフィケーションの良さはそれだけではない。「なぜ、ゲームは人の心を惹きつけるのか?」について講義をした。
精華学園高等学校 町田校で開催された保護者向けの講義で「ゲーミフィケーション」をテーマにした。意外に自分自身にとっても楽しい講義となった。
目次
1.ゲームより面白いものがない
そう子どもたちに言わせてしまう「大人」「学校」「企業」は少なくない。でも、実際にそうなのだろうか?「スポーツ」「料理」「農業」「社会貢献」「ビジネス」「ファッション」などに夢中になる若者もたくさんいる。
UberとポケモンGO
Uberという仕組みをご存知だろうか?
簡単に言うとアプリで「車を提供する人」「車に乗せて欲しい人」をマッチングすることで実現している新世代のタクシー配車システムみたいなものだ。日本は普通免許で他人を乗せると「白タク」になってしまうのであまり普及していないが、アプリが示す「車に乗せて欲しい人」が居る場所に車で向かい目的地まで運ぶとお金がもらえる仕組みだ。
一方でポケモンGOの仕組みをご存知だろうか?
ポケストップと呼ばれる場所に移動して、アイテムをもらったり、ポケモンがいる場所に行ってポケモンをゲットするゲームだ。
両者に共通するのは「指示された場所に行って作業をする」ということ。
Uberならお給料をもらえるが、ポケモンGOではもらえない。場合によっては課金アイテムが必要になって、お金を払うことになる。つまり、Uberは仕事だが、ポケモンGOは遊びなのだ。
その境目はなんだろうか?
それは仕事と定義するか、遊びと定義するかだけの違いかもしれない。
「面白いものがない」は文句ではない
「ゲームより面白いものがない」という子どもたちの言葉を「甘えるな」「ゲームが面白いのは当たり前」「ゲームは遊びだから」と返す大人が多い。そういう大人は子どもが発しているメッセージの本質が聞けていない。
否定するけれど自分であまり考えない大人は「私たちが過去に頑張ったように頑張ればいいんだ。仕事は面白いものではない」という古い意見を押し付ける。
ゲームすげえな!
一方で建設的な大人、柔らかい大人は「ゲームすげえな!」とそこから学ぼうとする。それがゲーミフィケーションのはじまりた。
社会に実際にある仕事を調べてみると「甘えていてもできる仕事」「ゲームより面白い仕事」「遊びのような仕事」はいくらでもある。
経営者が工夫しているかどうかの違いであることも少なくない。
2.ゲーミフィケーション
これは講義の内容なので詳しく知りたい方は講義を受けてほしいのだが、少しだけゲーミフィケーションについて書いてみたい。
社会的背景
社会が全体的に我慢できなくなってきた。
冬は寒いもの、、、ではなく、ヒートテックやカイロなどさまざまな対処方法がある。太ったらカロリーをカットする薬を探しに行く。不安なら不安を止める薬を探す。困ったらグーグルで調べる。
便利になった一方で解決まで数分以内じゃないと耐えられない人が増えている。
「50代でも20代の肌に!」という化粧品が販売され、たくさん売れているが、それは我慢すべきことで「解決できないといけないこと」ではない。というと女性に批判されそうだが、、、歳を重ねることを否定的に考える社会の方が危険だと思う。
総じて、我慢できない社会になってきている。それを否定するのは簡単だが、現実としてその我慢できない社会のまま活動に参加してもらうことはとても大事だ。
応用行動分析
子どもを教育する方法の一つに「応用行動分析」というものがある。
これが生かされて、「55段階方式」などの教育ノウハウが作られている。一方でこれはゲーミフィケーションにおける「見える化」「数値化」などのテクノロジーに通じるものがある。つまり、ゲーミフィケーションは突然現れたのではなく、さまざまなノウハウの集大成だと言える。
特にスマホのアプリとしてゲーミフィケーションを実現するとそれこそ24時間体制で人間を管理・マネージメントすることができる。その24時間体制のインフラに応用行動分析を乗せたらそれは強い!
即時フィードバックとコミュニケーション力
ゲーミフィケーションの中に「即時フィードバック」と呼ばれるテクニックがある。「すぐに反応が返ってくる」というものだ。
ゲームをしていると敵を倒した瞬間に気持ちが良い音がする。
レベルが上がる時の音がいい!
必殺技が決まる瞬間の動画がかっこいい!
あるいは自分自身が何かのアクションを起こしたときにそれが良かったのか?悪かったのか?がすぐに結果となって見える。
ガチャなどにもその要素があるかもしれない。
1ヶ月分のガチャをまとめて表示されても感激しないが、5秒ほど勿体つける画面があって、「バーン」と結果が表示されるとテンションが上がる(場合によっては下がる)
即時フィードバック上手は聞き上手
これは会話にも言える。「うんうん」とすぐに反応する人にはコミュニケーション上手が多い。10分後に「さっきの話だけどさ」ととても素晴らしい返しをしたところで感動は薄い。即時ではないからだ。
応用行動分析
応用行動分析では0.5秒以内にフィードバックを返すという技術がある。これはまさに即時フィードバックだと言える。人は時間的・空間的に近いものと出来事を関連付ける。
私がうつ病・ひきこもりから復帰して、六本木ヒルズや圏央道の工事現場で働いていた頃のこと。ある日私がコーヒーを飲んで「カン!」と音を立てて、飲み終えた缶を机に置いた。その瞬間、50mほど離れた資材置き場で資材が土砂崩れのように崩れた!
その瞬間、現場のたくさんの人がこっちを見た「お前か!」
10kg以上する建築資材がからの缶コーヒーを置いた衝撃で崩れることはおそらくない。それも50m先だからなおさらだ。
でも、時間的に0.5秒以内に二つの出来事が起きたので関連付けられてしまった。これが時間的に近いときに人はかん連付けてしまうという例だ。
出典は違っても勘どころは同じ
会話の最中、タイミングぴったりにうなづくだけで関係性はどんどんよくなる。
「これ聞いて!」「すごいでしょ!」と話し手が思った瞬間にうなづくだけで関連付けされるからだ。これが即時フィードバック(ゲーミフィケーション)、うなづき(傾聴)、0.5秒以内の反応(応用行動分析)と概念が違っても入っている同じ現象だ。
3.生かす力
折に触れて話題にしているが、私は「実践しない人は嫌い」だ。教えてくれた人の時間も自分の時間も無駄にするからだ。ゲーミフィケーションはテクニックだが、育児にもビジネスにも生かすことができる。
即時フィードバックと習って、それをメモするだけの人はおそらくこれを生かせない。どんな場面で「即時」に反応することが役に立つのか?それを考えて、実践で生かすことが学びを深めるコツだ。
実践例
実際に講義の中でも「活用事例」を話し合ってもらった。じっくり実践的に考えてみると日常生活の中に、教育の中に、ビジネスの中にチャンスはたくさん隠れていることがわかる。
子どもに即時フィードバックを使ったらコミュニケーション能力が急激に上昇した。
ゲーミフィケーションのオンボーディングは新人研修に通じるものがある。
学校の授業をゲーミフィケーションにすれば集中力も学習効果も飛躍的に上がると思う。
その目に見える形になった「オリジナルのゲーミフィケーション」が日常生活を変える。それを考えて、自分自身を進化・成長させてこそ講義だと私は思う。
4.講師の成長
今回のゲーミフィケーションの講義でも私自身にたくさんの学びがあった。子育てに限らず、企業での活用方法、LINEの既読スルーと関連付けた発想などさまざまな広がりができた。
講義はコミュニケーションだと私は思う。
私が用意したものと参加する方が発想したさまざまなものが重なり合って、新しいものが創造される。これが講義の醍醐味だ。
5.リアルに固執してはいけない
ゲームのような仮想現実、、、と言っている人たちのリアルは果たしてどれくらいの品質のリアルだろうか?
今ここ
今この瞬間に起きていることに気づけずに自分が読んだ自己啓発本の話や映画のワンシーンを思い出して伝えているだけの人が最近増えている。
映画の主人公の「観察力がすごい!だから観察力が大事だ!」という話を力説する人の話を聞いている人が飽きてしまっていることに話し手が気づかない。
今、観察力を使えよ!
という話だ。そういうことがあまりに多い。気が利かない「ホスピタリティ講師」やだらしがない「マナー講師」自分ができていないことを平気で語れるのは目の前のリアルが見えていないからだ。リアルが見えれば恥ずかしくてそんなことを力説できない。
逆に言うと大人も含めて、リアルに対する注意力・観察力・気づく力が極端に低下している。誰かが話をしたキーワードにただ反応して、テレビやニュースのネタを思い出しているだけでリアルが抜けている。
リアルの破綻
「リアルは既に破綻している」という人も出てきている。VRやグーグルマップ・ストリートビュー、SNS、ゲームをバーチャルとすると「リアルはなんだ?」ということになる。
- SNSをやりながら口に食べ物を放り込む食事はリアルなのか?
- 相手の反応を見れないコミュニケーションはリアルなのか?
- 生徒の個性を考えない教育はリアルなのか?
- コンビニのマニュアル対応はリアルなのか?
リアルとは「今、起きていること。一度しか起きない貴重な体験をキャッチして反応すること」ではないかと思う。マニュアル化された動きやぼーっとしていてもできるものはリアルではない気がする。
6.脳内の世界に生きている
私たちはそれぞれの脳内の世界で実は生活している。脳内が「この世は敵ばかりだ」と思っていればどんなに優しい言葉も届かない。脳内が「私は被害者だ」と信じていれば加害者ばかりに見える。
マクドナルドでポテトを提供する行為は「ただ渡せば良い」かもしれないし、マクドナルドの社会活動や文化の一部でもある。そのポテトで楽しい時間を過ごして欲しいと考えることもできるし、売上がどうなるかでもある。
それは人によって違うのだ。「ポテト」はリアルかもしれないがそれに関わる意味はリアルとは程遠い。その人の思い込みや観点、欲、被害者意識などのリアルではないものの組み合わせで作られる。
だからこそ、アニメのキャラで仕事のイメージを作ったり、地域のイメージを作ることにメリットがある。同じ作業でも「あのキャラがやっていた作業だ」と思うだけでテンションが上がる世界観の人がいるからだ。
まとめ
これからは個人の脳内の世界観がどんどん多様化していく社会だと思う。同じアニメ好きでもジャンルによって会話が成り立たない。それでも私たちが仲良く協力し合って生きていくにはどうしたら良いだろうか?
まずその第一歩は自分自身の小さく古い価値観の枠から出ることではないかと私は思う。