西きょうじ×石戸諭 反自己責任宣言 1/8 19時@五反田
NPO法人ユメソダテの理事仲間「西きょうじ(某予備校カリスマ講師)」氏の「さよなら自己責任(新潮新書)」刊行記念イベントの参加します。

https://peatix.com/event/350374?fbclid=IwAR3xKQrcR_2k04EmAopXY0cK6S0Db1IWmtzy1Bcu5l3CcP2lPTHNeiZZVWU
1.自己責任について僕が思うこと
社会には「許される」ことと「許されない」ことがあります。
- 満員電車で人を押すのは セーフ
- スマホやりながらぶつかるのは セーフ
- 香水の匂いが強いのは セーフ
- イヤホンの音漏れしまくっているのは セーフ
- 寄りかかってゲームやっていても セーフ
でも
- パニック障害になったら アウト
- 電車に乗れなくなったら アウト
- 気分が悪くなって遅刻したら アウト
- 怒鳴ったり殴ったら アウト
- うつ病になってしまったら アウト
アウトになる直前=ギリギリセーフで攻撃をしている人は罪に問われない。
- めんどくさい生徒を理由をつけて遠ざけるのは セーフ
でも
- 遠ざけられて凹んで学校に行けなくなったら アウト
砂浜で崩れる波をそのちょっと向こうで押している波がある
その波を押している少し沖の波がある
その波を押している波がある
でも、崩れた人が悪い。最後の「ザザーッ」となるのだけが悪い。
「自己責任」という言葉で加害者が責任を切る
弱い人。誠実な人がギリギリセーフの10人分の責任を負う。
2.「さよなら自己責任」
反「自己責任」は人と人がつながっていなければ成立しにくい概念だと思う。
人のせいにしようと思っている人は症状が軽いが誰かのせいになってしまっていることに気づけない人も最近は増えている。満員電車に背中を向けて、背後にお年寄りや子ども、ケガ人がいるかどうかチェックもせずに体を押し込んでくる人がいる。背中を向けているから誰がどんな風に困っているか気づきもしない。奥には奥で背中を向けて、動かないスマホ人間がいる。入口付近は呼吸ができないくらいなのにスマホ人間の向こうはスカスカ。そこにいる全員が場が見えてない。スマホが見えているだけ。
そんな人たちに反「自己責任」という高尚なことが理解はできるだろうが、認知できるのだろうかと疑問に思う。
今、目の前で問題が起きていることにすら気づいていないのだから、いわゆる「責任能力がない」というレベルなのではないか?
3.『リスクと生きる、死者と生きる』
この本を書いた石戸氏は反対に自己責任とか言っていられない圧倒的な衝撃=東日本大震災によって傷を負った人たちと向き合ってきた方。西理事と石戸氏が見ている世界が重なったら何が生まれるのか?
自己責任という言葉は東日本大震災を思い出して考えるとあまりに浅はかで冷たい言葉のように感じる。人がひとりで責任を負えると勘違いした人の発想だ。
そう考えて思い返してみると人知を超えた現象やグローバルで起きている問題を「誰が責任を取る?」とすぐ発想する人たちもそれに似ている。モンスターペアレントやモンスター社員の発想だ。
4.一緒に参加する人を募集
よかったら一緒に参加しませんか?
著名人のありえない「脳みそ」を覗くレアなチャンスだと思います。知的な空間に一緒に行ってみたい方はぜひご連絡ください!