プレゼンテーション講座@精華学園高等学校
「プレゼンテーション」というと
- 自分には関係がないこと
- 人前で話をしないしな・・
という方も多いと思います。
しかし、プレゼンテーションの本質は「初対面に近い人の心を動かす」ということのように思います。相手を思いやり、言葉や表現方法を選ぶ。プレゼンテーションにはそんな側面があります。
1.相手の話が聞けない現代
最近は自分の狭い世界、価値観に閉じてしまっている人が多い。
自分の話に持って行こうとする癖
誰かが野球の話をする。野球の話がわからない人はどこかのタイミングでサッカーの話に切り替えようとする。サッカーの話ならわかるからだ。
子どもがゲームの話をするが大人が社会の話に切り替える。
「この歌いいよね」という話をしているのに自分が好きな歌の話に切り替えられてしまう。
これは「人の話を聞けない人」に共通する傾向だ。
知らない話題の中でリラックスして話が聞けないのだ。
話を取ってしまうプロセスで「相手を尊重していない行動」をしてしまっていることや今度は相手が「慣れない会話」を強いられていることに気づかない。
目をつぶって球を投げる
Twitterを開くと「相手を知らないのに上から目線」という人が多い。
「社会のここが優しくない」と言っている人の多くは社会人経験が浅いし、「経営者が悪い」と言っている人の多くは経営したことがない。ハラスメントと騒ぐ人の多くは社会に揉まれていない。
2.プレゼンの基本は「相手」
アメリカ人に日本語でプレゼンしても理解されない。
これは多くの人がイメージできることだと思う。
でも、
その経験がない人に話をしてもわからない。
その知識がない人に話してもわからない。
ということは意外に理解されていない。
「相手」
コミュニケーションには相手がいる。
相手が中高生なのに「社会の常識」のような話をするのはアメリカに行ったことがない人に「アメリカの日常の常識」を押し付けるようなものだ。
相手をどれくらい正確に個人的に理解しているか?
これがプレゼンテーションの基本と言える。
雑な人たち
「男性はこうだ!」「女性はこうだ!」
と言いたがる人たちがいるが「雑」すぎる。人間を二つに分けてプレゼンをしようというのだ。「男性はこうだ!」という人は女性の中にもその「男性」のような発想をしている人が意外に多いことに気づいていないし、男性の中にも「女性」のような発想の人もいることも無視して、ただ「男性は」「女性は」と決めつける。
「障害者はこうだ」「健常者はこうだ」
「日本人はこうだ」「外人はこうだ」
「上司はこうだ」「部下はこうだ」
どれも「雑」だ。
「クラスのみんなが任天堂switchもっているんだ」
と言っている子どもと変わらない。個人名をあげさせれば間違いに気づく。
個人名の集まり
プレゼンテーションは個人+個人+個人+個人としての大勢に話をする。テレビや映画よりはラジオに近い。リスナー個人を思い浮かべながら、時としてやり取りをしながら進めていく。間違っても「男性全員」「若者全員」というような雑なくくりでメッセージを発信しない。
3.理解されたという誤解
プレゼンテーションが成功すると聞いていた人は必ず次のような勘違いをする。
「私のことをこんなに理解してくれた人は初めてです」
「?」「あなたの名前も知りませんが?」
それはプレゼンテーションが聞く人の世界観に寄り添っているから「私が普段感じていて、言葉にできなかったことをこの人が全て言葉にしてくれた」という感じになるのだ。だから、ひとことも会話をしたことがない人に「理解された」という感想をもらう。
プレゼンテーションにおいて重要なのは
「ああ、自分の意見も同じだな」と感じてもらうことかもしれません。